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自作小説「鳩女の記憶」

公開日: : 小説

 空の絵が描かれた天井はきれいなわけではない。クレヨン絵のような、ぼやけた様子が温かみを感じさせる。
視線を前に戻すと、TVモニターには北極の映像が流れていて、水槽にはネオンテトラが泳いでいた。部屋全体が心を落ち着かせる。
 僕はいろいろなものに守られていて、いささか窮屈だった。
 たとえば今すぐ駅に向かって日本中、旅をしてまわりたい。
 たとえば大学に入学して、キャンパスライフを楽しみたい。
 やりたいことが色々あるのに、僕は実行できた試しがない。
 前の席には白髪混じりの中年女性が猫背ですわっている。入口では、歳のわからない、がりがりに痩せた男が歩きまわっていた。
 瑞原さん、と主治医からのコールがきた。僕はカバンを背負い、診察室のドアを開けた。
「こんにちは」と頭の禿げた主治医が挨拶し、席に座るよう促す。
「調子はどうですか」
「最悪です、なにもする気がおきないんです。あと尿の出も悪いし、手が震えます。夜になると目がさえて仕方ないんです」
「そうですか、なるほど大変ですね」
 主治医がカルテになにか書いている。僕には読めない。
「先生、薬を減らしてもらえませんか」
 僕は一日に薬を二十錠飲んでいる。多分この薬の中にやる気を奪う成分が入っているのだ。なんとかして飲まないようにしたかった。
「まだその段階じゃないです。もう少し待ってください」
「ではそれがいつなのか教えてください」
「二年くらいスパンを置いて考えないといけませんね」
「そんな」
 僕は今二十二歳だ。二年後は二十四歳になっている。そんなに長い期間を無為に過ごすのは辛すぎる。
「最近幻聴は聞こえてますか?」
「いえ、聞こえていません」
 幻聴とはどういうものか、僕の場合そこらに聞こえる雑音が自分への悪口に変換される。ひどい時は絶えず聞こえていて、実は今も聞こえていた。
 嘘をついたことになるが、薬を早く減らしてもらうためにはそうするしかなかった。
「最近漫画は描いてますか?」
「描いてます。漫画家になりたいですから」
「その漫画今度持ってきてください」
 漫画の様子で精神状態がわかる、とのことだった。
 五分ほどの診察が終わると、待合室に戻った。
カバンを開けると、中には夏目漱石の「こころ」と、スケッチブックが入っていた。
 「こころ」は古本屋で購入してから一ページ目しか読んでいない。病気になってからまるで本が読めなくなってしまった。
 本が読めないだけではない、昔から僕はTVゲームが大好きだったが、それもできなくなった。とある名作ゲームをプレイしたが、クリアするどころか、最初のイベントで騎士たちに石を投げつけるところで心が折れて、続行不可能となった。
 スケッチブックを開くと、デッサンの狂った少女の絵、震えた手で書いた掠れた台詞、ちょっと頑張って描いたバランスの悪いドラえもん。酷いものだった。
 病気になる前は、もっと上手に描けていた気がする。手は震えていなかったし、そもそも絵に対する集中力が違った。
 つまり……病気になった今、どんなに頑張ったところで、健康だった時のようには描けないのだ。
 ではどうすればいいのか。僕は病院を後にして、なにも希望が持てなかった。
 公園のベンチで、無心に鉛筆を動かしていた。実はもうやめたかった。
 通りを歩く人を線と丸だけで描く訓練だ。それをすると滅茶苦茶上手くなる、とインターネットの友達が言っていた。しかしスケッチブックに描かれているのは棒人間ばかりで、こんなものがなんの役に立つのかわからなかった。
「ねーねえ、瑞原君。君はなんでそんな不毛なことばかりやってるのー?」
 鳩女が羽をまき散らしながら、無駄にでかい胸を寄せて僕の横に座った。青い豊かな羽毛を束ねた秀麗な顔はまさしくこの世のものではなかった。
「社会が怖いからって、一人で毎日こんなことしてたらもっと追い込まれちゃうんだよ! 瑞原君は一度入院してるからわかると思うけど、人は選択を間違うと取り返しのつかないことになっちゃうの! ゲームオーバーって本当だよ」
 鳩女が僕の腕をたぐり寄せてくる。白い肌の感触は柔らかい。
 僕はなにがあっても、鳩女に返答するわけにはいかなかった。入院した時に気づいたのだ。「幻聴」に返事をすると、結果的にひとり言になることを。ひいては社会的に抹殺される。
 スケッチブックを畳み、夕闇の中、家路についた。鳩女がスキップしながら追ってくる。
 何故鳩なのか。僕は昔、足の折れた鳩を鳥獣センターまで連れて行ったことがある。十年程経っただろうか。その時の鳩が恩返しにやってきた。という幻が見えるようになった。
「瑞原君、幻聴はあたしが止めてるから安心して、だからその間に」
 鳩女の言葉が悲しい。鳩女自身が幻聴なのに。確かに僕自身を攻撃するものは少なくなった。それでも先は暗い。
 短い人生の中でこんな時間を過ごしていいものかと思う。この先ずっとこのままだったら、生きている価値などあるのだろうか。
「瑞原君、死んじゃダメだから」
 鳩女が僕の肩を抱いた。
 家に戻ると、食卓を素通りし、自分の部屋に入った。
 パソコンの電源をつけ、ポテトチップを食べながらブラウザを開く。
インターネットで知りたいだけの情報を知ると、家でやることはなくなった。
 布団に潜って仰向けになる、ぼーっと四角い枠に覆われた天井を眺めた。
なにもない。なにもないことに意味がある。悲しいのだ。
 流れのまま涙を流す。レールに乗り損なった自分。若いのに輝いていない僕。
 机の上に置いてあるのは同窓会の案内状だった。電話も来た。委員長。女子に人気のあるハンサムな男だった。
 あいつはなにをやっているのだろう。電話が来たということは、実家にいるのだろうか。無性に気になった。
 もしあいつを一日尾行して、その充実した人生を垣間見ることができたとしたらどうだろう。もしかすると彼女とデートでもしているところを目撃できるかもしれない。いや、予想外の展開だって起こりうる。あいつは彼女と別れ話を切り出す、泣いて嫌がる彼女。一人席を立ちその場から立ち去るあいつ。そうなったら僕の興味は彼女の方に移る。僕はそういうシチュエーションに飢えているのだ。
 しかし鳩女の寂しげな視線に気づくと、僕はそのまま目を瞑り寝てしまった。
 起きたとき、既に日は変わっていた。時計をみると午後一時だった。
 相変わらずなにもする気にならなかった。鳩女もいない。
 二週に一度の病院以外、どこに行くあてもない。
 僕はまだ二十二歳だ。野球選手だったらルーキーだ。これっからはじまりなのだ。それなのになんで、こんなに前が暗いのだ。
 机の上にある漫画は全然進んでいない。そもそも最後まで描くアイデアが浮かばない。漫画家にはなれない。
 なら描けばいい。鉛筆を握る。手が震える、かすれた線が描かれていく。これは絵ではない、落書きだ。
 ああああー! と叫ぶ。頭を抱えてうずくまる。
 辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い。
 落ち着いた。何もかわらない。時間だけがすぎていく。
横に置いてある睡眠薬のカプセル。これを二十錠くらい飲めば死ねるだろうか。
 ああ、そうだ。
いつ死んでも同じだ。
もう、寝ていたいのだよ。
眠くなってきた。
突発的に死のうと思った。
 未練はたくさんあった。
 でもどうしようもなかった。だってできないのだから。
 これから行くところは閻魔のところだろうか、いっぱい嘘もついたし、人を悲しませたから多分そうなるだろう。
 まわりを見ても闇ばかり、死ぬってのはこういうことか。
「だめ! 瑞原君!」
 鳩女だった。闇の中、鳩女だけが鮮明にみえていた。
「そっちに行ったら二度と戻れなくなっちゃうよ! いくら疲れてたからってそんなに簡単に死んじゃったら、せっかく生まれたのになんの意味もなくなっちゃうんだよ!」
 鳩女が涙に目を濡らし僕の肩をつかむ。
 駄目だ。未練なんて、ない。早く、行かないと。
 どこへ?
「ねえ聞いて、瑞原君は足が折れたあたしを助けるため、自転車で半日もかけて鳥獣センターまで連れてってくれたよね。途中で道行く人に馬鹿にされても諦めないで、やりとおしてくれたじゃない。あたしあそこで治療を受けて、その後五年生きたんだよ。だから今度はあたしが瑞原君を助けるの」
 僕はたしかに鳩を助けた。でもそれは自己満足のためだった。鳩を助けた自分、という称号がほしかったのだ。決して善意だけでやったわけじゃない。感謝されるほど立派なものじゃない。偽物だ。
「偽物だっていいじゃない!」
 鳩女は羽をまき散らしながら僕をまっすぐみつめる。
「人はそんなに単純じゃないんだから!」
 鳩女が僕の唇を塞いでいた。僕は全身が強張り、なすがままにされていた。
 僕はとても狭い世界の中に閉じ込められて、複雑なものをなにも知らない。
「漫画家を目指すのはいいと思う、でも瑞原君、君は大切なものを見失ってるの。それは、生きなきゃいけないってこと」
「じゃあ、どうすれば?」
「外に出ようよ」
 鳩女が腕を挙げる、すると視界が明るくなっていった。
「頑張ってね、瑞原君」
 気づいた時、僕は病室で点滴を受けていた。
 聞くところによると、鼻に管を入れられ胃洗浄を施されたらしい。母親に泣かれ、親父に殴られた。
 その後、結局また入院する羽目になってしまった。前と病棟が違ったのは不幸中の幸いだった。戻ってきちゃったの、と言われなくて済むからだ。
 主治医からは、ここからはじめましょう、と言われた。今回の反省を活かし、退院後も通えるよう施設を紹介してもらった。
 施設ではピーズアートを作っている。爺さん婆さんばかりだが、ずっと病棟の中にいるよりは大分ましだった。
 病棟に今、可愛らしい女の子が入院している。一つその娘に作品をプレゼントしようと思う。どんな嫌な顔をされるかもわからない。だが良い。鳩女の言葉を思い出すのだ。
 外に出よう。
僕以外の何かを知りたい。
人はそんなに単純じゃない。
だったら何もかも知ってやろうじゃないか。
黄緑色に光る指輪が完成した。
結末は如何か。
少なくとも、終わりはまだ遠い。人生は未だ暗い。
でも足りないものだらけで当然だ。
要はいつから始めてもいいのだろう。
一歩足を踏み出した。
我が人生に、幸あれ。(了)

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  • 佐久本庸介と申します! 山梨県からひらきこもりを掲げ、色々なことにチャレンジしていこうと思っています。第一回クランチノベルス新人賞受賞。ディスカヴァートゥエンティワンより青春ロボットドラッグカラーの空という小説を出版しております。皆様どうかよろしくお願いいたします!
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