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みんなのための精神病小話5-リハビリ

seisin5

病気になったから病気に詳しくなったけれど、それがなにか生産的なものに繋がるかといえば色々な考えがあると思います。でもなりたくてなるようなものでは決してないので、みんなはなるべく自分を大事にして、壊れそうになったらどこかに助けを求めるか、逃げるかしてほしいです。

どうもごきげんよう。今回のテーマは病棟からの退院後に控えているリハビリについて扱っていきたいと思います。
精神病の場合、退院しても病気自体が治っているわけでなく、状態が安定していく目処がついたところで退院するのが大半です。退院した患者の多くは症状が残っています。そういうわけで、患者にはリハビリが必要になってくるのです。

私の例でいえば、退院した後も幻聴は聞こえていましたし、副作用で身体のあちこちに異常がみられました。当時、大学に籍を置いていたのですが、それどころではなくリハビリに専念するしかありませんでした。
リハビリの仕方は、症状をみた主治医のさじ加減や個人の希望により、それぞれ異なります。退院後しばらく家でゆっくりと休みをとり、心の療養をするか、施設に通うことで人とふれあい、社会参加能力をはかるなど、おおまかにいえば二つの道に分けられます。

実は私はリハビリに一度失敗しています。その理由は、自宅療養をするようになってから、家にこもって、大学の勉強も遊びもなにもせず、ただただ無為に過ごしていた結果、なにもしていないことを誰かに責められていると感じるようになり、症状が悪化しました。薬の副作用で無気力になることは精神病患者にはつきもので、仕方のないことのはずなのですが、幻聴はこれでもかというくらいの悪意をこめて非難してきます。罪悪感と合わせて自分を否定するような幻聴に責められ、その幻聴は昼夜かまわず継続し、頭に血が上って限界まで追い込まれ、結局親に頼んで再入院することになりました。自宅療養が必ずしも悪いわけではないのですが、私には合わなかったようです。

病棟への入院と共に、病棟の空き部屋の都合から、別の病院に移されました。そこの病院で大分安定すると、主治医にリハビリとして「デイケア」という病院の施設に通うことを勧められました。私は思いました。なにもすることがない退屈な生活をおくって、また入院を繰り返すよりは、最早こういった施設に賭けるしかないのではないかと。当時はかなり切実な気持ちを持っていました。

さて、私の通っていたデイケアという施設の説明をすると、月曜日から金曜日まで営業していて、それぞれの曜日に多彩なプログラムが行われています。スポーツでいえば卓球、ダーツ、ヨガなど。他にも皆で街を歩いたり、車でデパート巡りをしたりもします。屋内ではカラオケで歌ったり、お茶を飲みながら雑談をしたり、就職についての勉強会を行ったり、他にもアクトと呼ばれる手作業で、アクセサリーなどを作ったりします。基本的に皆で協力し合って楽しい生活をする場所です。

ついでにデイケアとよく似たOTという施設についての知っている限りで説明しますと、
デイケアと同じく楽しんでリハビリをするところなのですが、どちらかというと個人個人でばらばらの作業をするところらしいです。
デイケアもOTも全ての病院にあるわけではありません。そういう施設がない病院の場合、紹介してもらう必要があります。興味がありましたら、自分で調べてみるのも大事かと思います。

私はデイケアがとても合っていましたが、中には一ヶ月くらい通って来なくなる方もしばしば居ます。デイケアも場所によって年齢層は様々ですが、私の通っていたところは平均年齢四、五十歳で、若い人がいないことを残念に思っていました。しかしそれが逆に、当時コミュ障気味だった私も、気を抜いて話ができるようになったのだと思います。逆にコミュニケーションが苦手な人が、若い人だらけのデイケアに通うことで、気を遣いすぎてしまい、むしろ症状を悪化させるケースがあるようです。

デイケアに行くにしても、家で治療するにしても、自分と医師だけでなく、家族の全面的な理解と協力は不可欠です。たとえば患者がなにもしていない、遊んでいるだけの状態が続くと、家族からみて、自堕落すぎてこのままではまずいのではと思うかもしれません。しかし病気や薬で意欲がわかない時期というのは、精神病の治療過程に付き物なのです。迂闊に働くことを勧めたり、本人の無気力さを責めたりするのは、骨折した馬に鞭を打つようなものなので、決してしてはいけないことです。何故ならこの病気の患者は、退院したからといって完治したわけではありません。症状の悪化による再入院は大いにありえます。共に生活している家族は、患者のメンタル面を細やかにサポートすることが大切です。

デイケアは生活力をつけるための大きな助けになります。家にこもっているのと違い、同じ病気の人とコミュニケーションをとれます。デイケアのプログラムは、前述したとおり、小手先の工作や、簡単なスポーツなど、無理なく遊べるものが満載です。あまりにも簡単すぎて、幼稚園に通っているのとなんらかわりないと思う方も多いですが。病気で弱った神経の回復をはかるのに適した形態といえます。そんなやさしい環境でも調子を崩して倒れてしまう人もいます。

ここからは私の体験を書きます。私は五年間デイケアに通いました。入院中から通いはじめて、退院後に心理士の方とデイケアに通う日取りを決めました。日取りに関しては大抵、週三以上を選ぶ方が多いですが、私は自由な時間が沢山欲しかったので、週二しか行っていませんでした。特にデイケア内でも、個人作業が多い日を選んでいました。今考えると、もう少し多く、様々なプログラムを行う通所日を設定しておけば、病気の治りも早かったかもしれないと思います。なぜなら薬の副作用で意欲がわかず、読書も絵描きもテレビゲームも、今まで好きでやっていたことが一切楽しめず、家にいてもろくなことができなかったのです。

その頃が副作用の絶頂期でした。中でも自分の意思に関わらず、瞬きで一回に一秒以上目を瞑ってしまう症状にはさんざん悩まされました。一時間に一度とかじゃなく一分に五回くらいでした。苦痛とあいまって、デイケアに行くこと、病院に通うこと自体が苦痛になっていました。しかし薬を勝手に止めるわけにはいかないので、主治医に薬の調整を強く主張しました。たまに強力な副作用止めの注射を打ってもらいましたが、頭がぼーっとするばかりで何も改善されませんでした。

一年ほど経って、デイケアに通う日取りの見直しをすることになりました。週三、それから更に週五日と増やしていき、全プログラムに参加することになりました。退院後一年してようやくデイケアの本質に触れることになりました。
それからの私は、月曜日はお茶会と卓球、火曜日はバスで公園に、水曜日は病院のアルファードで雑貨屋をめぐり、そこで買ったプラモデルを作る。木曜日は卓球とカラオケ、金曜日は集団で街を歩く。このうえなく緩い毎日を続けていきました。

そのうちに薬が減っていき、あれほど悩まされた副作用は徐々に少なくなっていきました。瞬きはいつの間に正常に戻り、なんの気なしにスーパーファミコンを出してみたら、嘘のように面白くプレイできるようになりました。寝る前に本を読んでみたら、三十ページくらい読めるようになっていて、自分の身体に変化が起きていることを実感できました。
症状が改善されたあたりから、職業訓練センターという施設を紹介されました。最初はあまり通うことを考えなかったのですが、どうも社会復帰するにはそれが一番の早道だということがわかり、当面はそこに通うことを目標にすることになりました。
更に私の自信に拍車をかける出来事がありました。私の住んでいる県では年に一度、県中の精神病院対抗の卓球大会が開かれのですが、それに私の通っているデイケアのチームも参加しました。やるからには勝てるだけ勝とうと思い、全力を尽くしたところ、なんと優勝してしまったのです。
完全には治らなくても、どこかで落とし所をみつけることができれば、リハビリは成功したといえるのではないでしょうか。
次回は社会復帰について書いていきたいと思います。お読みいただきどうもありがとうございました!


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  • 佐久本庸介と申します! 山梨県からひらきこもりを掲げ、色々なことにチャレンジしていこうと思っています。第一回クランチノベルス新人賞受賞。ディスカヴァートゥエンティワンより青春ロボットドラッグカラーの空という小説を出版しております。皆様どうかよろしくお願いいたします!
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